小論文の書き方

「書く」と「考える」

 中には、熟語を多用し断定的な表現を使って書かれていても、じつは現状の問題点や事実に対する認識が誤っていて、そこから導き出された結果がテーマにそぐわない考え方になっている場合もあります。こういった文章は、自己の意見が偏っていたり、論述の展開に無理が生じて、結果的に論述が破綻してしまっている可能性があります。

 

 一番残念なのは、事実に対する認識も正しく、様々な角度から分析されており、独自の結論を引き出せそうな視点をそなえているのに、一般的に「正しい」と考えられている内容にまとめようとして、結果的につじつまの合わない文章になってしまったものです。

 

 最初に挙げた稚拙な文章の例は、表現が会話的だったり、自己の意見がわかりやすく表現できていなかったりという、文章表現の問題といえるでしょう。高尚な表現をする必要はありませんが、伝えたいことをはっきりと分かりやすく表現することが大切です。

 

 こうして考えてみると、自分の意見を文章にして「書く」ということと、自分が何を問題だととらえて、どうすればよいのか「考える」という作業は別物なのだということに気付きます。論文を書く上ではこの両方を併せ持っている必要がある、ということですね。

 

著者 ひねもす

 

 

 

 

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