小論文の書き方

指導者という立場

 反発を受けるようになってからは、子供の行動について注意しなければならないときには、「○○すると××だからやめようね」などと、どうしてしてはいけないのか理由を説明するようにしました。説明の際の基準は「親として子供に何を伝えたいか」です。ウチの場合は"人に迷惑をかけない" ことと"怪我をしない、させない"こと。最近では「××ってどう思う?」と質問してみたりもします。すると子供は、つたない言葉ながら、自分で考えて答えを出そうとするようになり、最近では怒られそうな気配を察すると、自分から「○○と思ったからこうした」と説明をするようになりました。

 

 この方法をはじめて一番よかったことは、私も子供も、日々の生活や物事に関して自分で考え、意見をもつようになったことです。自分自身は正しいと考えていたことでも、いざ話をしてみるとその認識はとてもあいまいなものであったり、自分一人の意見には偏りがあったとしても、もうひとりの意見を聞くことで認識を新たにしたりすることができるようになりました。日々、会話をしながらお互いの考えの折り合うところを見つけているような状態です。しかし、なにしろできの悪い親なので、感情で言葉を選ぶこともしばしばで、反省することも多々あります。

 

 こんな小さな子供にも自分の意見があり、こちらが理解を示せば相手も自分の言葉で話そうとするということは、とてもすばらしいことだと感じています。

 

 指導者という立場においても、この気持ちをもちつづけていたいと思います。また、様々な人に自分の意見を聞いてもらうことで、抱えている問題について解決の糸口が見つかること、コミュニケーションがいかに大切ということを知ってもらいたいものです。

 

著者 ひねもす

 

 

 

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