小論文の書き方

指導メソッドの研究

学生が力をつけ、成長していく過程に関わることができるということは、指導者としては一番の喜びだと感じています。それと同時に、指導のミスや自分の力不足がその人に与える影響の大きさを考えると、正しいアドバイスや指導がいかに重要であるかを痛感します。学生だけではなく、指導する立場の人間も日々努力をしていなければ、よい結果を得ることはできないということなのですね。

 

 多くの教育者は、このような自戒の念を抱いて切磋琢磨していると思いますが、時にしんどさや忙しさに負けて、この位いいだろうといい加減なことをしてしまう人もいます。そのような指導には、嘘やごまかしがあり、学習者の貴重な時間を浪費させるばかりか、本来進むべき方向を見失わせて大切な選択を誤らせてしまう可能性すらあると思います。 

 

指導に携わる人間の切磋琢磨は、どのようにしたら有効なものになるのか、目的を的確に実現できる指導を行うには、どのような指導法を執ればいいのか、教授法と呼ばれる指導メソッドの研究は、実はたいへん重要なことなのだということを、添削コメントを書くという場面でさえ実感いたします。それと同時に、目的を期待通りに実現できたときの喜びは、指導に心を砕いた分だけ嬉しいものだということも身をもって感じます。

 

著者 ひねもす

 

 

 

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