小論文の書き方とアドバイス

指導と教授

そもそも理論的な考え方ができておらず、現状に対する認識不足や自身の意見に偏った論述になっている場合には、テーマについてどのように考えていったらいいかといった向き合い方や頭の使い方から、具体的な例を挙げて、問題を解決するための方法を考えやすいように指導する必要があると考えています。

 

このように考えていくと、指導者という立場においては、相手の考えや意見、学習のレベルなどを正しく理解することがいかに大切なことであるかがよくわかります。冒頭にも書いたように、人に指導をするということはとても難しいことであり、自分にはとてもおこがましいことであると感じています。

 

技術的な面はもちろん必要となりますが、指導者、生徒という立場ではなく、人と人とのコミュニケーションの延長線上に指導と教授があると考えれば、少しだけ肩から力がぬけるような気持ちになります。

 

著者 ひねもす

 

 

 

 

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